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吉雄常三墓碑をたずねて

2014年01月27日 16:53

昨日の圭介日記第19集出版記念会のあと、名古屋に泊まり、本日は、名古屋の医学者・蘭学者の墓碑調査と考えた。

泊まりが地下鉄伏見の名古屋クラウンホテル、天然温泉大浴場が2つもあり、都会のなかでのホンモノの天然温泉が体感できる、初めて泊まったが大満足。

それはともかく、地下鉄伏見駅から覚王山駅まで。下車して徒歩15分。坂道を城山町2ー47、常楽寺をめざした。いくつかの寺を過ぎて、ようやく寺院地帯の南側の隅に常楽寺を発見。入り口はいってすぐ右側に浅井国幹先生顕彰碑があった。浅井国幹は、浅田宗伯のあと明治期に漢方医の復活をかけて、闘った医師。

そのあと、覚王山駅まで歩いて戻る。駅員さんに平和公園に行くにはどうしたらよいですか、と聞くと、星ヶ丘からバスが出ているからと教えてもらう。星ヶ丘まで切符200円。急いで地下鉄に乗る。星ヶ丘で降りて、1番バスの乗り場が、平和公園行きのバス乗り場。

さて名古屋国際空港、出発の時間、続きは、家に帰ってからアップしよう。

洋学史学会7月例会

2013年07月15日 01:33

7月14日(日)は洋学史学会7月例会だった。

報告は福岡万里子「幕末外交史の中の日本ープロイセン修好通商条約」と

平野恵「舶来植物が本草学に与えた影響」の日本だった。

福岡さんのは、著書『プロイセン東アジア遠征と幕末外交』(東京大学出版会、2013)の

なかから、1860年にプロイセン使節団が修好通商条約を結ぼうとやってきたのだが、それ以前のスイス、ベルギーとの条約を際限なく広がると拒否しており、かつプロイセンと結べば、スイス・ベルギーとも条約を結ばなければならない約束なので、結局オイレンブルクらは目的を達成することができなかった。

オランダは日本とヨーロッパ諸国との条約交渉について主導権を握ろうとしたが、必ずしもうまくはいかなかった

平野さんのは、奇品といわれる園芸植物、変わり朝顔などの関心の高まり、弘化以後の西洋植物の流入の増加などを話してくれた。本草学者と植木職人らとの認識の違いなどが面白かった。

9月14日は洋学史学会佐賀大会です。ぜひおでかけください。

 

 

 

第一回近世医学教育研究会

2012年07月01日 21:32

7月1日(日)13時より、佐賀大学付属図書館において、科研費第一回会合をもった。①医学教育の制度的展開、②医師養成制度の変遷、③種痘をめぐる医療と庶民、④江戸屋敷の医学のうち、③を共通に調査していこうということになった。

113回医学史総会

2012年06月15日 20:54

東武ホテルグランデにて、医学史学会理事会が開かれた。

大会長前獨協大学医科大学長寺野氏が壬生の医学史に

ついても話をされた。

nnihonishigakkai

2012年06月15日 20:31

 

nihohishigakkai

初ブログ

2012年06月15日 11:34

本日よりブログを始めました。いろいろな情報をアップデートしていくのでお見逃しなく。。RSS feed.でブログのアップデート状況を確認できます

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